会社の出直し

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kaiketsu_h

創業60年、地域でも名の通っている従業員30名年商約20億円の金属材料卸業の話。現在の社長は創業から数えて三代目の同族経営者である。彼は大学を出て、この業界の大手商社で数年修業した後、現在の会社に戻り約十年間、同社の唯一の支店で働くこととなった。

数年前二代目から会社を引き継ぐことになったのであるが、それまで会社の営業現場にいて、会社経営のことについて特に勉強したわけでもなく、また、会社の財政状態について興味を持ったこともなかった。会社を引き継ぐに際し、会社の経営内容が芳しくないという話を経理担当者から聞いてはいたものの、それがどういう意味かも分からず、営業さえ頑張れば会社は生きていけると軽く考えていたのである。

ところが、いざ会社の経営者として金融機関や仕入先と接するにつれ、資金繰りの厳しさが経理担当者から愚痴られる様になり、業者への支払日になると同族からつなぎ資金を出さなければならない実態が見えてきたのである。

そこで改めて経理担当者に会社の財政状態がどうなっているのか問い詰めたところ、過去十年近くに亘って、金融機関から資金を得るために粉飾決算をしており、借入金も年商の3分の2近くの金額にまで膨らんでいることが判明したのである。同社の二代目は経理や財務のことは全て兄弟である役員に任せており、会社の実態を殆ど把握しておらず、創業者が作った会社財産を担保として借金が膨らんで行くことに無頓着であったのである。

不安になった三代目は、知人の紹介で公認会計士を雇い入れ、会社の実態を明らかにするよう依頼した。調査の結果、会社は大幅な債務超過となっており、ここ数年営業利益を出せていないことが判明した。また、金融機関への返済が月間1000万円以上にのぼり、返してはまた借りるということを続けている状態で、金融機関からも新規融資が出来ないという意向が伝えられていた。

このような危機を如何に脱するか、営業には自信のある三代目も経理・財務についての知識と勘があるわけではなかったので、まずは先の公認会計士の指導の下で、会社の再生計画案を作成したうえで金融機関と協議し、今後の会社再生の道筋をつけることとした。

この作業を始めてみると、今まで年間4億円近くかかっていた販売費や管理費に相当の無駄があることが判明した。また、本業の利益についても、粉飾の結果見えなかった実態が明らかになることで、利益率改善の道筋が見えるようになったのである。また、従来支店として使っていた隣県の不動産についても、多少の顧客減少は覚悟の上で売却することとし、さらに、金融機関に借入金と両建てになっていた定期預金数億円を借入金と相殺させ、借入金の残高も従来の半分近くまで削減することにより、利息の支払も劇的に減少させることが出来たのである。

会社の引き継ぎ当初から、このような再建に取り組まなければならない三代目は不幸といえば言えるのであるが、会社の実態把握と再生計画案の作成、金融機関との交渉、固定費の削減のためのリストラ断行と、公認会計士の助けは得ながらも、並みの後継者では経験し得ないような出来事をこなすことにより会社の細部にも目配りできるようになったのである。

このような社歴の長い会社を後継者が引き継いでいく場合、既に顧客等の経営基盤が出来上がっている場合が殆どである。そうでなければ数十年も会社が存続しえてないからである。しかし、経営基盤が出来あがっているからといってそれが後継者として使い勝手のいいものであるかというと、必ずしもそうはなっていないケースが多い。

このケースでも、創業者が作った財産という担保力を過信し経営努力を怠った二代目と幹部社員の存在が、三代目の足を引っ張る結果となっており、それを振り払い現実を見据える努力をしなければ、如何に社歴が長かろうと、時代の波に一気に飲み込まれてしまう可能性がある。

この会社の場合、会社の再生計画案という外部に対する約束を表明することで、明確な経営目標が社内で共有されるようになり、計画の進捗状況を毎月チェックし、経営の軌道修正が出来るようになった。30人と小世帯という事もあり、会社の組織を出来るだけフラット化し、毎月2回、責任者を集めて実績の共有と会社の方向を具体的に協議する幹部会を開催し、同族企業ゆえの独断専行型の経営から、現状を常に数字で把握し意志決定も幹部会の意見を聞きながら行える体制が出来上がったのである。

会社を引き継ぐということは、会社を再建させるか、それとも自らが起業するのと同様の苦しみを伴う場合が多い。それは、会社という組織が数多くの利害関係者の協力があってはじめて生きられるのであって、後継者が自らその苦しみを克服しない限り、利害関係者の協力は得られないのである。同族というだけで後継者になっても、会社の株主としては存在感はあっても、経営者になれるということとは別問題であるということをこのケースは教えてくれているのである。

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